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縄文時代の人々の心 The hearts of the Jomon people

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訪れた三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期にわたり、およそ1700年にわたり人々が暮らしていたと考えられている。 縄文時代全体で言えば、紀元前13000年から紀元前400年ごろまで続いた、と言われている。 12000年という歴史の尺度は、現代からはおよそ想像がつき難い。 縄文時代が終わってから、現在まで2500年ほどしか経っていないが、その期間の中で私たちが知っている歴史上のほとんどの事件が起こっている。 縄文時代の中でも、当初は集落の集まりだったものが、やがて共同の祭祀場や墓地を持つようになった、という変化はあったのだろう。 それでも、狩猟や採取など行っていた人々の暮らしは、それほど大きな変化はなかったのではないか。 自分が幼い頃も、父親の頃も、祖父の頃も、その前も、ずっと同じ暮らしが続いていた。 世代ごとに、周囲の状況や、自分の暮らしが変わっていく現代人とは、まるで違った時間の意識を、縄文時代の人々は持っていたに違いない。 考古学や歴史の研究は、今後も進んでいき、新たな発見や研究も行われていくだろう。 しかし当時の人々の、心の中の世界については、時間に追われる現代人には、理解することはできないのかもしれない。 The Sannai-Maruyama archaeological site, which I visited, is believed to have been inhabited by people for approximately 1700 years, from the early to middle Jomon period. The Jomon period as a whole is said to have lasted from around 13,000 BC to 400 BC. A historical scale of 12,000 years is almost unimaginable from a modern perspective. Only about 2500 years have passed since the end of the Jomon period, but most of the historical events we know about occurred within that period...

三内丸山遺跡のさんまるミュージアム Sanmaru Museum at the Sannai-Maruyama Site

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三内丸山遺跡の大きな広場を巡った跡、出土品などを展示している、さんまるミュージアムを訪れた。 縄文時代の出土品と言えば、岡本太郎が衝撃を受けた火炎式土器や、ユニークな形状の埴輪などが土偶などがすぐに思い浮かぶ。 三内丸山遺跡では、火炎式土器は発見されていないようだが、土偶については多くの出土品が展示されていた。 2018年の東京国立博物館での縄文展で展示されていた、十字型の板状土偶も展示されていて、思わぬ再会となった。 三内丸山遺跡では、大小合わせて2000個もの土偶が発見されていて、続く山梨県の釈迦堂遺跡の倍近い数で、国内では群を抜いている。 遺跡のゴミ捨て場には、多くの魚の骨などが見つかっており、当時の人々は豊かな食生活を営んでいたようだ。漆を使っていたことも出土物から明らかだ。 新潟の糸魚川のヒスイや北海道・長野の黒曜石なども発見されており、三内丸山の人々が離れた地域と何らかの形で交流していたことがわかる。 江戸時代に日本の各地を訪れて風俗を記録した菅江真澄も、三内丸山遺跡の辺りを訪れた際に、縄文土器や土偶を見て、それを紀行文に残している。 今後も、新たな研究によって、この三内丸山遺跡のことがもっと明らかになっていくことだろう。 After exploring the large plaza at the Sannai-Maruyama archaeological site, I visited the Sanmaru Museum, which displays excavated artifacts. When thinking of Jomon period artifacts, the flame-style pottery that impressed Taro Okamoto, and uniquely shaped haniwa and clay figurines immediately come to mind. While flame-style pottery hasn't been found at the Sannai-Maruyama site, many clay figurines were on display. I was pleasantly surprised to see the cross-shaped, ...

三内丸山遺跡で時間旅行を Time travel at the Sannai-Maruyama Ruins

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青森駅前のバス乗り場から、三内丸山遺跡行きのバスに乗って、三内丸山遺跡を訪れた。 この地域に古い遺跡があることは、江戸時代からよく知られていた。 1992年から本格的な調査が始まり、縄文時代の前期から中期、紀元前3900年から2200年という長い期間にわたって、ここに人々が暮らしていたことが明らかになった。 2021年にはこの遺跡を含む北海道や東北の縄文時代の遺跡が世界遺産に登録された。 この遺跡を訪れることは、この旅行の大きな目的の一つだった。 遺跡の入り口になっている現代の新しい建物から、タイムトンネルならぬ時遊トンネルを抜けると、大きな広場が現れる。 一見すると、日本のどこかの公園のような広場だが、ここにはおよそ1700年にわたって縄文の人々が暮らし続けた場所だった。 巨大な6つの穴が発見されたが、それらは建物の柱を建てた跡とされていて、そこに3階建ての柱の建物が再現されている。 見張り台として使われていたのだろうか、あるいは祈りを捧げるような場所だったのか。 狩猟や採集で暮らしていた縄文の人々が、これほどの大きな建物を建てていたことは、発見された時に人々に大きな衝撃を与えた。 大型の竪穴建物跡には、おそらくここに暮らしていた人が皆、集まれるほどの広さなのだろう。 そこで当時の人々は、狩猟や採集の様子などを話したり、歌や踊りを踊ったり、大きな決まり事を決めたりしていたのだろうか。 遺跡の中を歩きながら、かつてこの地で暮らしていた人々のことをあれこれと妄想して、ひと時の時間旅行を味わうことができた。 I took a bus from the bus stop in front of Aomori Station bound for the Sannai-Maruyama Ruins and visited the site. The existence of ancient ruins in this region has been well known since the Edo period. Full-scale investigations began in 1992, revealing that people lived here for a long period from the early to middle Jomon period, fr...

映画『八甲田山』の記憶 Memories of the movie "Mount Hakkoda"

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中学生の頃だったろうか、テレビで映画『八甲田山』を見た。 前の稿でも触れた、明治35年の八甲田山雪中行軍遭難事件を描いた映画で、原作は多くの山岳小説を書いた新田次郎、監督は『日本沈没』や『小説吉田学校』などで知られる森谷司郎。 迫り来る北のロシアとの戦争を想定し、青森歩兵第五連隊と、弘前第三十一連隊が、八甲田山で雪中行軍を強行。 少人数で出発し、高倉健演じる徳島大尉に率いられ、地元の案内人も連れた弘前隊は無事に行軍したが、大人数で指揮権が混乱、案内人も断った、北大路欣也演じる神田大尉率いる青森隊は悪天候の中で遭難。211名中、生還はわずか12名だった。 実際の事件の詳細は、小説や映画とは、少し異なっているようだ。 この映画は、当時大ヒットして、”天は我々を見放した・・・”という北大路欣也のセリフは、流行語にもなった。 2つの部隊の運命の対比が鮮やかで、素晴らしい俳優陣の迫真の演技も相まって、とても印象に残っている映画だ。 青森市内には、八甲田山雪中行軍遭難資料館という施設もあったが、時間の都合で残念ながら訪れることはできなかった。 I think I was in junior high school when I saw the movie "Mount Hakkoda" on television. As mentioned in a previous post, it's a film depicting the Hakkoda Mountains snow march disaster of 1902 (Meiji 35). The original story is by Jiro Nitta, who wrote many mountain novels, and the director is Shiro Moritani, known for "Japan Sinks" and "The Yoshida School." Anticipating an impending war with Russia to the north, the Aomori 5th Infantry Regiment and the Hirosaki 31st Regiment forced themse...

棟方志功と鹿内辰五郎 Shiko Munakata and Tatsugoro Shikauchi

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  八甲田ホテルには、棟方志功の作品が、ロビーなどに多く展示されている。 このホテルができたのは1991年。棟方志功が亡くなったのは、1975年なので、直接のつながりはないだろう。 この魚の絵は、酸ヶ湯温泉を訪れたときに書いた絵のようだ。 酸ヶ湯温泉と、この八甲田ホテルを経営しているのは、同じ団体のようなので、こちらのホテルにも展示しているのだろう。 鹿内辰五郎という名前があるが、彼は15歳の頃から酸ヶ湯温泉で働き、その間に多くの遭難事件に際して人々を救い出して、”仙人”とも呼ばれていた。 明治35年の八甲田雪中行軍遭難事件では、歩兵第三十一連隊の隊員として行軍に参加し、遭難した第五連隊の救出にあたった。 棟方志功と鹿内辰五郎は、青年の頃から知り合いだった。 まだ無名だった棟方は、鹿内とともに八甲田山を登っていた際に、突然舞い降りた鷹に遭遇し、鹿内は、”あの鷹は神の鷹だ。君は将来、世界一になれる。”と棟方を激励した。 二人はその後も交流を続け、鹿内が亡くなった際に、棟方志功が揮毫して、鹿内辰五郎の石碑が作られた。 ”大鵬一気十万里”は、荘子に基づいた言葉だが、棟方志功は、鹿内辰五郎と遭遇した”神の鷹”のことを思い出しながら、その言葉を書いたに違いない。 Many of Munakata Shiko's works are on display in the lobby and other areas of the Hakkoda Hotel. The hotel was built in 1991. Munakata Shiko passed away in 1975, so there is likely no direct connection. This fish painting appears to have been done during a visit to Sukayu Onsen. Sukayu Onsen and the Hakkoda Hotel appear to be run by the same organization, so it is likely that his work is also on display here. His name is Shikanai Tatsugoro, and he began wor...

八甲田ホテルでのある日のディナー Dinner at Hakkoda Hotel

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八甲田ホテルでは、クラシカルな雰囲気のメイン・ダイニングルームで、優雅な気分でディナーを味わうことができた。 この前の日、青森市内の居酒屋で、青森県産のホタテや地鶏など、言わば庶民的な青森の食を楽しむことができた。 この日は、フレンチという形で、下北半島の雲丹、三陸沖のイナダ、下北牛などの、青森の豊かな食材をゆったりと味わうことができた。 At the Hakkoda Hotel, I was able to enjoy dinner in an elegant atmosphere in the main dining room, which has a classical atmosphere. The day before, at an izakaya in Aomori City, I was able to enjoy what you might call everyday Aomori cuisine, such as Aomori scallops and local chicken. On this day, I was able to leisurely savor Aomori's rich ingredients, such as sea urchin from the Shimokita Peninsula, Spanish mackerel from off the coast of Sanriku, and Shimokita beef, in the form of French cuisine.

八甲田ホテル Hakkoda Hotel

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  青森の2日目の宿は、標高およそ900メートルの場所にある、八甲田ホテル。 カナダ産レッドシダーやアメリカ産オレゴンパインの木材の丸太を、そのまま使って作られた、完全木造のホテルだ。 開業したのは、1991年と意外と新しい。 ホテルの入り口で、宿泊客を迎える美しい灯は、ニューヨーク五番街 ウォルドルフ・アストリアホテルのガス灯として使われていたものだという。 ホテルの中に入ると、ところどころに剥き出しになっている木材が、まるで山小屋のような雰囲気を感じさせる。 部屋に向かう廊下を歩くと、どの場所をとっても建物の内部、外の風景が実に美しい。 建物自体がアート作品のような、そんな素晴らしい雰囲気に包まれたホテルだった。 Our accommodation on our second day in Aomori was the Hakkoda Hotel, located at an altitude of approximately 900 meters. The hotel is constructed entirely of wood, using intact logs of Canadian red cedar and American Oregon pine. It's surprisingly new, having opened in 1991. The beautiful lights that greet guests at the hotel's entrance are apparently former gas lamps from the Waldorf-Astoria Hotel on Fifth Avenue in New York. Inside the hotel, the exposed wood in places gives it the feel of a mountain cabin. Walking down the hallway to our room, the views both inside and outside the building are stunningly beautiful from every angle. The hotel is enveloped in a wonderfu...